2010年02月25日
Le Coq Sportif ~その1~
今でこそ世界に冠たる名門ゴルフブランドだが、
あのニワトリはテニスやサッカーが似合うと思うのは僕だけではないはずだ。
高校時代(1982~84年)、ヤニック・ノアが憧れのプレーヤーだった僕は、
彼が全身にまとっていたルコックに夢中になった(元々フランスかぶれだったので)。
テニマガの広告を見て、ノアが表紙を飾る製品カタログを送ってもらったりしたが、
東北の田舎町ではそんなオシャレなブランド品が手に入るはずもなく、
ノアがカタログ中で履いていた個性的なスタイルのスニーカーや、
3本足シャフトという珍しいシェイプのミッドラケットが欲しくてたまらなかった。
(確かウッドとグラファイトのコンポジット)
東京の大学に入学し、初めて吉祥寺に行ったときのこと。
ふらっと入ったスニーカーショップでルコックのテニスシューズを発見!
(確かペニーレーンの近くだった)。
友人と来ていることも忘れて商品を嘗め回し、28cmのを7800円で購入した。
(1986年当時、消費税なるものはなかった!)
アッパーは合皮だったが、つま先までまっすぐ紐を結ぶルコック独特のデザインだった。
ヒールのクッションが割れている(アキレス腱を圧迫しない)のも正統ルコックを感じさせた。
初めて手に入れたルコック製品で、本当に嬉しかった。
「東京に来てほんとうによかった」とさえ思った(笑)。
ところでその頃の僕は、大学に入学してからテニスとどう付き合うか思案中だった。
体育会テニス部を見学したり大学で一番大きなサークルにも一日入部したり、
あれこれやってみたが、僕が思い描く学生生活とはイメージが異なり、
「ラケット1本あればいいや」と新宿ウィンザーでロシニョールのF200カーボンを買うことにした。
(さすがにルコックのラケットは売っていなかった。探し方も知らなかった)
柔術のサークル、戦後文学のゼミ、寮生活などを楽しんだ。
大学に5年もいたのだから相当楽しかったんだろう(笑)。
テニスは一般教養の体育で選択したぐらいで楽しむ機会は少なかった。
クラス担当の先生がテニス好きで、有志で伊東に合宿に行ってテニスをしたことも。
体育会テニス部の女の子とダブルスを組んだら「凄いラケットだね」と呆れていたのを思い出す。
いけね、ルコックの話だった(笑)。
大学3年でそのシューズはボロボロになったがなかなか捨てられなかった。
さて、その次に手に入れたルコック製品はいったい何だったろうか?
というか、それ以後ほとんど目にする機会がなかったように思う。
恐らく80年代後半~90年代の代理店の展開力が弱かったせいだろう。
いまはデサントが展開している(82、3年当時の代理店名がどうしても思い出せない)。
デサントのノウハウで、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いがあるのがLe Coq Sportifだ。
今はヤフオクという強い味方もあって、かなりのアイテムを手に入れることができた。
次回以降では、それらコレクションを紹介していきたいと思う。
あのニワトリはテニスやサッカーが似合うと思うのは僕だけではないはずだ。
高校時代(1982~84年)、ヤニック・ノアが憧れのプレーヤーだった僕は、
彼が全身にまとっていたルコックに夢中になった(元々フランスかぶれだったので)。
テニマガの広告を見て、ノアが表紙を飾る製品カタログを送ってもらったりしたが、
東北の田舎町ではそんなオシャレなブランド品が手に入るはずもなく、
ノアがカタログ中で履いていた個性的なスタイルのスニーカーや、
3本足シャフトという珍しいシェイプのミッドラケットが欲しくてたまらなかった。
(確かウッドとグラファイトのコンポジット)
東京の大学に入学し、初めて吉祥寺に行ったときのこと。
ふらっと入ったスニーカーショップでルコックのテニスシューズを発見!
(確かペニーレーンの近くだった)。
友人と来ていることも忘れて商品を嘗め回し、28cmのを7800円で購入した。
(1986年当時、消費税なるものはなかった!)
アッパーは合皮だったが、つま先までまっすぐ紐を結ぶルコック独特のデザインだった。
ヒールのクッションが割れている(アキレス腱を圧迫しない)のも正統ルコックを感じさせた。
初めて手に入れたルコック製品で、本当に嬉しかった。
「東京に来てほんとうによかった」とさえ思った(笑)。
ところでその頃の僕は、大学に入学してからテニスとどう付き合うか思案中だった。
体育会テニス部を見学したり大学で一番大きなサークルにも一日入部したり、
あれこれやってみたが、僕が思い描く学生生活とはイメージが異なり、
「ラケット1本あればいいや」と新宿ウィンザーでロシニョールのF200カーボンを買うことにした。
(さすがにルコックのラケットは売っていなかった。探し方も知らなかった)
柔術のサークル、戦後文学のゼミ、寮生活などを楽しんだ。
大学に5年もいたのだから相当楽しかったんだろう(笑)。
テニスは一般教養の体育で選択したぐらいで楽しむ機会は少なかった。
クラス担当の先生がテニス好きで、有志で伊東に合宿に行ってテニスをしたことも。
体育会テニス部の女の子とダブルスを組んだら「凄いラケットだね」と呆れていたのを思い出す。
いけね、ルコックの話だった(笑)。
大学3年でそのシューズはボロボロになったがなかなか捨てられなかった。
さて、その次に手に入れたルコック製品はいったい何だったろうか?
というか、それ以後ほとんど目にする機会がなかったように思う。
恐らく80年代後半~90年代の代理店の展開力が弱かったせいだろう。
いまはデサントが展開している(82、3年当時の代理店名がどうしても思い出せない)。
デサントのノウハウで、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いがあるのがLe Coq Sportifだ。
今はヤフオクという強い味方もあって、かなりのアイテムを手に入れることができた。
次回以降では、それらコレクションを紹介していきたいと思う。
いやぁ~、思い入れタップリで共感しております。
デサント以前の代理店は「トルビオン」では?
(たしかデサントグループだったような...)
ヤニック・ノアがお好きなんですね。
同好の士の方にお会いできてうれしいです。
> デサント以前の代理店は「トルビオン」では?
> (たしかデサントグループだったような...)
はい、確かにデサント以前はトルビオンだったと思います。
でも僕が知りたいのは、さらにそれ以前の代理店です。
(知ってどうなるものでもないですが・笑)
僕が83~84年頃に取り寄せたカタログが、そこが作成したものでした。
見開きで、長い脚をグンと伸ばしたヤニックノアが写っているもので、
(手にはあのConcept3ウッドコンポジションが!)
巻末に関西のほうの代理店名が入っていました。
確か「イースト」という単語が入っていたと思うのです。
どうでもいいことですね(笑)。
またお越しください。